なぜ工作機械は面白いのか ~ものづくりの本質がわかる~

総論 幅広く、奥の深い工作機械技術の面白さ

働きながら国際性のあるマルチタレントのキャリアが
自然と身に付く工作機械の仕事

東京工業大学 名誉教授 伊東誼

図1 サファイヤ基板の加工と使われる工作機械の仲間

研削加工 - 研削盤

研磨加工 - ラッピング盤

仕上がったサファイヤ基板

図3 マゼラン海峡に面したプンタアレーナスあれこれ

左からスペイン系、イタリア系、ドイツ系、ユダヤ系 学会の懇親会にて?会議を支えているお嬢さん方

通りで見かけた肉屋?初夏でも生の牛の胴体がそのまま吊り下げられている

図2 シンガポール及び香港地域に特化した立形MC- 地域・民族性調和形、FX650型、1990年代
図6 2002年に国際連合工業開発機関(UNIDO)の仕事で印度、バタラの工作機械技術研究所へ出向いた際の筆者

事務棟と付属工場(後方の建屋)の前で-弟子のラーマン教授(前列中央)、並びに先方のスタッフとともに

このホームページをみる生徒や学生さんが理系であるならば、相当に「物つくり」に興味があり、工作機械なる言葉を一度は聞いたことがあろう。その一方、文系の方々は工作機械と聞いても、「自動車や電車の仲間の一つか」と漠然と捉えるであろう。しかも、日本国内には100を越える工作機械メーカがあるにもかかわらず、それらの年間の総生産高は自動車メーカ一社にも及ばないと聞くと、興味が薄れるかも知れない。
しかし、企業として規模は小さいかも知れないが、「工作機械は一国の産業基盤」、あるいは「近代工業国家とは工作機械と兵器を自製できる国」と言われるように、国際化が進む現今では、日本の工作機械メーカは世界の産業、ひいては社会を支える重要な存在である。又、工作機械技術には、他の技術にみられない面白さ、奥深さ、幅の広さなど興味深い特徴がある。ちなみに、現在の世界における工作機械産業の二大巨頭と言えば、日本とドイツであり、そのドイツにはベルリン工科大学、アーヘン工科大学、並びにミュンヘン工科大学という技術の世界で最高峰と目される大学に工作機械研究所が附設されている程である。

青色LEDのノーベル賞受賞を支えた工作機械

さて、「青色LEDがノーベル賞を受賞できた裏方は工作機械」と聞いたらどう思うであろうか。理系の方にとっても想像を越える話であるが、いまや交通信号を始めとして人間社会は至る所で青色LEDのお世話になっているので、文系の方も工作機械に興味を持たれるのではないでしょうか。
青色LEDは、直径150mm、厚さ1mm弱の円板状のサファイヤ基板上に窒化ガリウム膜を結晶成長させて作り出す。注目すべきは、基板の表面粗さ(短い周期で繰り返される表面の凹凸)であり、1オームストロング(0.0001マイクロメータ)位である。1マイクロメータは、日常生活で馴染みのある1ミリメートルの1/1000であるので、正に真っ平らな板である。しかも、このようなサファアヤ基板をお金に糸目を付けずに作るのではなく、できるかぎり安く作るのが社会の要求である。そして、この無茶な要求に応えて安く大量にサファイヤ基板を社会に供給しているのが、研削盤、ラップ盤、ポリッシング盤という工作機械の仲間(機種)である。要するに、工作機械が活躍することによって、簡単に質の良いサファイヤ基板が入手できるようにならなければ、青色LEDも「画に描いたお餅」となる 図1

工作機械技術は文理融合の幅広い技術と
匠の技を凌駕する奥深い熟練技能の組合せ

青色LEDの例にみられるように、常日頃何の気なしに使っている色々な製品は工作機械の仲間によって産み出されている。それは、「工作機械は社会の維持、発展に欠かせない機械」と一言で表現されることからもお判り頂けるであろう。通勤や通学に使う電車の車輪やレールは、もちろん工作機械で産み出されている。車輪は、工作機械の仲間の一つである車輪旋盤で直接的に産み出されるが、レールは、圧延機により産み出され、その圧延機が工作機械で作り出されるという二重構造になっている。
このような役割を聞くと、工作機械は裏方として存在している「狭い領域の専門技術では」と想像される。身近に町工場でもなければ、日常生活では目にすることがないのが工作機械であり、そのように想像するのも無理からぬところがある。しかし、実態は理系から文系にまで横断する広範囲な学識を要求される「異分野横断形」の専門分野である。それは、社会が色々な民族で構成され、世界各地には色々な文化・風土があり、それらは多種多様な製品を希求する。それにもかかわらず、工作機械はそれら希求に適切に対応せねばならないことを思い起こせば容易に理解頂けるであろう。例えば、シンガポールに拠点があるマキノ・アジア社(牧野フライス製作所の子会社)は1990年代前半に世界を先導する地域・民族性調和形マシニングセンタ(MC)の商品化に成功して高い評価を得ている。このMCは、シンガポール及び香港地域で華僑系の人々が使うことを前提にして作られていて、正に民族性を考慮した商品展開であり、文理融合の成果である 図2
しかも、現在は、「局地性を考慮した国際化」(Localized Globalization)の時代であるので、工作機械メーカの技術者や技能者のみならず、販売担当者、アフターサービス担当者なども世界を股にかけて実地調査を行い、各地の文化・風土の違いを理解する必要性が高まっている。そして、世界のどこでも使える広い汎用性と同時に、世界の片隅でも実情に即して使える工作機械の設計・製造技術及び利用技術の構築に努力している。これは正に文理融合であり、その一つである「生産文化論」なる領域も構築されつつある。私もこれ迄に東は米国、ボストン、西はアイルランドのゴールウエイ、北はノルウエーのトロンヘイム、南はチリのプンタ・アレーナスと国際学会への参加・論文発表、学術・技術協力などで駆け回ってきた。ちなみに、プンタ・アレーナスは、「人種のるつぼ」とも言われる場所で、どのような工作機械が適しているのかを考えるのに苦労させられる 図3
もちろん、本筋である工作機械の設計・製造技術、並びに熟練した技術者及び技能者の技や直感という専門深化した学識も要求され、これからは更に民族性を考慮した工業デザインにも配慮する必要がある 図4
その結果として、工作機械メーカで仕事をしていれば、波及効果として国際性のあるマルチタレントのキャリアを習得できる。技術者ならば知らず知らずのうちにT型人材へと成熟でき、そのような人材は非常に貴重である 図5。逆に文系の方が図面を読めるようになって、しかも部品の加工コストの計算ができるようになれば、これは「鬼に金棒」である。政府筋やマスコミが「国際性のあるマルチタレントの人材育成」の必要性を唱えているが、工作機械メーカは正に最適な「舞台」である。そこで、「舞台の内実」をこれから幾つかの個別テーマで紹介する予定である。

図4 これからの工作機械設計における三本柱
図5 T型人材の概念?工作機械の大御所、ベルリン工科大学(故)Gunter Spur教授にみる

ラーマン教授の成功談

それでは、マルチタレントとして国際的に活躍している、国立シンガポール大学のラーマン教授を紹介しよう。彼は、バングラデシュ、ダッカ工科大学を卒業後に文部省国費外国人留学生として来日して、全くの白紙から日本語を学び、私の指導の下で東京工業大学にて工学博士号を習得している。その後、牧野フライス製作所に数年勤務した後に、国立シンガポール大学に職を得て、現在に至っている。もちろん、英語と日本語を母国語であるベンガル語と同じように流暢に操る他に、スペイン語とヒンディー語も理解できる。もっとも、流石に漢字には手こずっていて、日本語を書くのは苦手である。
シンガポールは英国の植民地であった関係で英国流の教育・研究体制であり、「教授は研究計画を立てて指示をするが、手を汚す実験や時間を費やす理論解析は技術スタッフが行なう」という階層性である。日本は、逆に「教授も油にまみれて実験を行なう」上に、企業は「技術者と技能者が混然一体化した組織体制」であり、これが日本の生産技術を世界に冠たるものとしている原動力である。ラーマン教授は、これら英国流と日本流を巧みに組合せて教育・研究活動を行ってきており、これ迄にも十指に余るシンガポール及び周辺国出身者に工学博士号を取得させている。又、国連からの依頼で印度の工作機械技術の育成にも関与していて、外国人が泊まれるホテルは皆無な印度の片田舎、バタラまで私もお伴したことがある。なにしろ、印パ国境に近く、ミサイル基地も設けられている物騒なアムリトサルのホテルに泊まり、ビニール袋にカレーとご飯を入れた腰弁当をぶら下げて、毎日車で片道1時間程かけて仕事に通うという空前絶後の珍しい経験もした 図6
このように、ラーマン教授以外にも日本が育成した人材の存在、あるいは日本の支援が相当に貢献している国立シンガポール大学である。しかし、最近の英国の格付け会社の評価で東大を抜いてアジアでトップに位置付けられている。英国の格付け会社の調査も相当にいい加減であるが、それに悪のりして例の如く日本の大学を悪く言う日本のマスコミも定見がなさ過ぎる。



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